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【台中日本語教師勉強会オンライン】06 参加者の感想

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遅くなりましたが、先日の勉強会(12月19日)の参加者みなさんの感想を掲載します。Zoomで参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。台湾、日本以外の地域からの参加もあり、30名を超える方々にお越しいただきました。90分にわたる会にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。 

この長引くコロナ禍で、語学塾経営という面では大変苦しい一年でした(いや、ホントにつらかったです)が、一方オンラインで世界各地の日本語教育関係者の方々と意見交換する機会を得たことは思いがけない幸運でした。どうか今年(2021年)もよろしくお願いします。(犬山俊之) 

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■ Y.T. さんの感想 

本日もありがとうございました。犬山先生のご解釈、大変興味深かったです。 

青山先生もおっしゃっていましたが私も親子関係の展開とは考えておりませんでした。 

少し長くなりますが、以下、私の解釈を書き添えたいと思います。 

「水神様」を読み解くかぎと考え、自然(神宿るもの)から二郎に与えられる命(きゅうり)。それを母の知恵で水神(水難よけのように思われました)で自分の名を記し、命を伸ばしてくれる「初もの」を捧げ物にしたところで、きゅうりは今度は二郎を守る「お守り」の存在に昇華し。 

その後、また名のない一つの命として、まだきゅうりには早い季節の土地に住む乞食の子の前に現れ、一家の命をこの先に連れていく食物として去っていく終わりのシーンにつながるのかなと思っていました。 

(おそらく、この土地では今からまたきゅうりの育つ季節の中、 新しくみずみずしいきゅうりが育っていくのだろうとも思いました。) 

この物語の中で、自然の神様の中に抱かれる命の一つである人間は自然との関わりとともに存在するし、命(ここではきゅうり)を慈しむことで、また守られ、その命がまたその先の別の場や命と繋がっていく。そんな読み解き方をしていました。 

水を象徴する龍神は雷も雨も呼ぶので、離れた場から見ているという意味での遠くの雷(神鳴る)かなと感じていました。 

また「きゅうり」であることから、水神と同じ場にいる悪さをするカッパの好物でもありますので、そのイメージも頭の片隅にあり。難逃れとして愛しく育てたきゅうりに身代わってもらったようにも感じていました。 

なので、私が授業をしていたら神様や供物、お守り……など、見えないものを含めた命への影響などを考える授業に展開していたように思います。 

犬山先生の示された 母子のつながり、社会とのあり方、社会への船出と繋がっていく読み解きは深くてより作品を作る作家の技量の読み解きという構造的な解釈を感じました。新たな視点をありがとうございました。 

今後もまた楽しみに勉強会に参加させていただきます。 

どうぞよろしくお願い申し上げます▼ 

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■ A.M さんの感想 

今回もこちらの勉強会を通して、新しい発見ができました。また、初めてお会いする先生方ともお話しでき、非常に楽しかったです。ありがとうございました。 

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■ 安田好成 さんの感想 

興味深い内容の勉強会に参加させていただき、ありがとうございました。 

今回の教材である「遠くで鳴る雷」は、教材としてとりあげるボリューム・題材・文化などの面で“なるほど”と思いました。先週この教材で授業をした際、(N2レベルの)学生は二郎の立場からみた感想を素直に語ってくれました。しかし、1時間も時間をとることは困難であることから、犬山先生の作成された、語彙・文法に関する練習問題は全て省くことになりました。 

趣味としての日本語であれば、今回の童話や小説などの文学は語学を通して文化を知る教材として適していると思います。一方、大学や就職をするための日本語であれば、古家先生のご指摘の通り、検定試験等を目的とした「実用主義的教育感」を意識することになると思います。因みに、私は後者のカテゴリーに属する学校で活動していますが、文学・詩・遊びを含めた「日本文化」に親しむ授業は、メインの「実用的授業」とは別に、実施しています。 

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■ 小原久直 さんの感想 

 僕は一対一の授業なのですが、ときに学生の好みに応じて文学作品を授業に取り入れることがあります。その学生にとってフランス語よりも日本語がはるかに馴染みのある言語である場合は、原文はフランス語の作品の日本語訳を読んでいくこともあります。(僕自身はフランス語が全くわからないため、そうせざるを得ないのですが⋯⋯) 

 文学作品を授業に取り入れる上で気をつけていることは、学生に「味わう」機会を提供することに徹すること。教師はその手伝いをすること。従って、「著者のみぞ答えを知るであろう解釈」は避けています。 

 今回の勉強会でも、提案された方向ではなく、自分のその方向を続けて行こうとの思いを新たにしました。ちょうど初めてある音楽に触れるように、文学を味わってほしい。そのためには作者の背景なども読み終えてから触れるようにしたほうがいいのではないか、また、何かに「象徴」を読み取ろうとする必要もないのではないか?むしろそうした作業が文学作品を味わうことから学生を遠ざけてしまうのではないか?と思うのです。 

 「そして、それを鼻にあてて匂いをかいだり、自分の目に近づけて、このいきいきとした、とりたての、 新しい青い実をながめたのであります。」の箇所を不自然に感じたり、違和感を持つ方がおられましたが、僕には植物や昆虫には興味を持つ子供であればごくごく自然な行動に思えました。そこに何らかの象徴を読み取ったり、解釈を加える必要はないように感じました。