ずいぶん遅れてしまいましたが、簡単にこの日の読書会の感想を。
いつもの事ながら、論文の選択及び会の運営をしてくださっている古澤さんには感謝の言葉もありません。この会のおかげで定期的に論文を読む機会を得て本当に助かっています。今回も参加者の皆さんの様々な「読み」が聞けて、大変参考になりました。自分一人で読んだとしても、これほど細かく、深く読むことはできないません。こうした会に参加できて本当に幸せです。

今回の論文についての「ざっくりした」感想ですが…
→「Vて形、感情形容詞」が適格文である場合の前件、後件の細かい分類に感心する一方、学習者への説明を考えた場合、思い切った単純化も必要ではと感じました。筆者の分類は「教える側」である教師側の理解には参考になりますが、授業では「自己制御制の有り/無し」という分け方でなんとかなるのではと思いました。
以下、「*みんなと会って、嬉しいです」についての犬山の考え。
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「て形」接続は、前件と後件の「自己制御性の有り/無し」(或いは「意志性の有り/無し」)が同じ場合のみ可能である。
1 サンドイッチを買って、公園で食べた。(自己制御性 有り+有り)
2 強い風が吹いて、木が倒れた。(自己制御性無し+無し)
3 *ボタンを押して、切符が出た。(自己制御性有り+無し)
4 *雨が降って、ジョギングに行かなかった。(自己制御性無し+有り)
なので、「みんなと会った」と「嬉しかった」をつなげる場合、感情表現は「自己制御性無し」なので、前件も自己制御性が無い表現に統一しなければならない。「会った」から「自己制御性」(或いは「意志性」或いは「動作主の関わり」)を剥ぎ取る操作が、動詞を可能形にする事であると考える。
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ここで、「みんなと会えて、嬉しいです」の「会えて」の意味を考える。この「会える」、形は可能形だが、日本語教育の初級で出てくる「可能形」とはちょっと違う。一般的な初級の教科書に学習項目として出る可能形は「個人の能力」と「その環境や道具でできる」の二つだが「みんなと会えて、嬉しいです」の「会えて」はどちらでもない。あえて言うなら、「成就」というか、その事が「起きた」「なった」という感じだろうか。
(「可能形」と言いつつ、既習の用法ではないので、学習者は混乱するのだと思う。教科書類に、この「可能形」の意味の説明を見たことがない。)
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ある動詞から「自己制御性」(或いは「意志性」或いは「動作主の関わり」)を剥ぎ取る操作というと、動詞の自他のペアが思い起こされる。
自動詞−他動詞
つく−つける
開く−開ける
× −会う
↓
会える−会う
上のように、自他のペアを持たない動詞の場合、可能形を使って「自己制御性」(或いは「意志性」或いは「動作主の関わり」)を剥ぎ取るという操作が行われると思われる。
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とりあえず、思いつきをメモしておきました。